昭和51年12月12日 特別奉修委員 (末永信太郎)
福山から今まで、その豊美達が送ってくれましたが、ちょうどその途中で、もう沢山な自動車ポンプが出て、火事がほんな道路端の丸焼けになってまして、もう、水がどんどん、そのポンプの水が流れておるところを通りましたです。したら豊美が、いや、しもうた、まちっと早く来ると良かったち、火事ば見たかったわけですよね。したら、いちおうさんが言いよります、お前はあんま、そげん、ほんな今までここは交通止めになっとってから車が行かんじゃったっじゃが、お前は汽車時間がギリギリで行きよるとに、お前はそげな、どうするかお前はそげなこつ言うちから、ち言うちから言いよりますとですよね。
それから、繁雄さんがこげん言いよる。間違いないですねえ、神様はあ、ってこう言いよんなさるとですよね。この、もうそれのね、その、やはり合楽で信心のけいこをしておる者は、そういう時にやっぱ一番、はあ、神様は間違いないねちゅうのが、やっぱ誰でもそうじゃなかろうかと、こう思うですね。
豊美は豊美で、その、お前が野次馬の根性が強いからそげなこと言う、いちおうさんがそう言うわけ。(笑)まちっと早う来りゃあ良かったち言うちから、子供んごたることを言うですけれども、お互いの心の中にも、やっぱり野次馬根性がありますたいね。
また、自分だけを中心にした考え方、私はもう本当に、この寒空に焼き出された人んことを思うた瞬間、思うて祈りよりました。ですから、その一つの車に4人の者が、それぞれ、どういう頂き方に段々なって行かにゃんか、成長せにゃんかということですね。
おそらくは、今の合楽の方達の場合は、これが繁雄さんの言わっしゃるようなことがピンと来るとじゃないでしょうかね。間違いないなあ神様とはあ、ということになって来るんですけどね。本当にあの、合楽理念というようなものが段々分かって来ると、神様の間違いない、一分一厘間違いのない働きを身に感ずることが出来るようになる。それから先はもう、限りがないという、生神へ向かって進んで行くのですから。
ね、そこに、例えば野次馬根性から神心へ変わって来るようなね、おかげが段々頂かれるとじゃないでしょうかね。今の合楽の信心はね、油断も隙も出けないと言うと、大変こう、窮屈なごたるけれども、そんなに難しいことじゃないとですよ。合楽理念、心行、そして、実意丁寧神信心ということがね。
今日、中村さんがそれを今、お届けされてから、昨日は指出の共励会でしたから、おかげを頂くように言うてもおったのだけれど、ちょっと出けなかったんです。ほれで、あの、徹美さんがいつまっでん帰って来んげなとに、とうとう行けなかった、と。
ところがもう、さっそく今朝から体の方へ( )を感ずるちゅうとですね。もう、そのくらいな油断も神様が許しなさらんわけですよね。本当、今、秋山さんと話したことでしたけど、昨日、(早川?)の重子さんが月次祭にお出でて来ておりましたからね。それに、もうあんまり金光様、金光様ちゅうもんじゃから、実際神様のおかげを頂くから、あの、一時はもう、そのお母さん達が話し合ってから、もう、あそこにゃ子供達はやるまいちゅうごたる働きがあったんですね。
それが、今度、千何百坪ちゅうごたる広いところに、今度は移ることになっとりましたもん。ところが、もうおかげを頂いて、おかげを頂いてちゅうもんじゃけんで、市長さんと県会議員の人が一生懸命(中に泣いてと言われよって?)もう、アンタ、私どんがいくらしたっちゃ、アンタもう、神様のおかげよ、神様のおかげち言うちから、私だん馬鹿んごたるじゃんのち言うちから、もう、(うてわっしゃるじゃった?)そうです。それでも、やっぱり神様のおかげよおかげよでですね、一時(園児?)が少なくなるぐらいにあったけれども、今また、おかげ頂いて今度、先日あの、お(結い会?)をしたそうです。
ところがもう、父兄の人達も合わせてですけれども、もう、とにかく(講堂?)が入らんごとなっとる。そん中に、北九州の方から、それが知り合いでも付き合いでもないとですよ。もう、自分の子供ば幼稚に入れたいけれども、ものは出らんし体はイライラしとるでしょう。で、みょうに(生き生き御用?)、よう時々、月次祭に参って来ますたい。ね、(小さい?)子供が。
あれがその、頼みに来たげなけんで、(原?)幼稚園に入れとるわけです。それで、もうあげんと入れてもらうならば、して、他のそのお母さん達からも問題が出るごたった。で、今度あの、(お結いぎ会?)の時にも、その、自分達の子供が出ると中に入れちゃくんなちゅう訳たい、邪魔になるもんで。ね。
けれどもね、そげなこと言わずに、例えば自分達がこういう子供ば持ったと思いなさいて。例えば、もうここへ来て、もうやっぱり半年も以上になりましょうかね。が、おかげで体もシャンとしたし、時々はものも言うごとなっとるとですよ。それでもう、まだ本当じゃないけれども、ああして、泳ぎも自分で少しは覚えてするけんで、例えばね、良い( )で、あの、(おゆうぎかい)がよう出来るとか出来ないちゅうこっじゃなかて。だから、もう結局、あの子供達の、あの、心を育てて行かなきゃならんのですから、この人が一人かて退かされる。また、皆がかて退かすというな気持ちが出来るといけんから、どうでも入れなきゃいけんから、そこを了承してくれと言うて、入れたそうです。
そして、そのことの挨拶を最後にしたそうですけど、もう、講堂、男も女子も泣いてから感動したと言う。そして、こげな素晴らしい教育者が今ごろおんならば、本当にもちっと良い子ばってんちゅう、最後にもう、市長さんが感動してですね、もう、絶対私が、この今日でも、この講堂はこんな足らんごたるからね、大きな講堂を建てることを、私は皆さん、お母さん達に約束するて言わっしゃったそうですたい。
して、昨日お礼に出て来てから、その土地のことなんかでも、その、市会、市長さんと県会議員が先日からみえてから、どっこい、その他の土地と交換のことが、話が進まんげな、進まじゃったげな。それから、これはやっぱ、重子さんが言うごとせにゃ、( )言うごとせにゃいかんとじゃないじゃろうかち言うてから、また、断りじゃなかばってん、あの、見えたそうです。
そして、もう、とんとん拍子で話が進んでですね、それで、これは早川さん、金光様の信心するなら、もう誰が何じゃらちいや、もう、徹底ひとつやらにゃいかんばいち言って、市長さんと県会議員が言うてくれたて。それまでには、主人はもう、ぜんぜん相手にせんし、それから一人娘がおりますもん。もう、22~23ぐらいな、それが娘じゃろう?それがおばあちゃんにね、私が死んだら、お母さんの信心ば止めるじゃろうかち、もうしみじみ言うたそうです。
そげんもう、とにかくあっちこっちからの非難ごうごうじゃったそうですたい。けれども、アンタが死んだらのい、よけい熱心にするじゃろう、なら、死にもたんち。(笑)しかし、私は本当、秋山さんと話したこっですけれども、徹底するち言うなら、やっぱここまで徹底せにゃね、そげなん、その、もう、それこそひっくり返すごたるおかげじゃなくて、この辺ですね。
もう、とにかく神心が強いと言うかですね、もう、それはもう本当、ビックリするぐらいに強いですね。もう、そりゃあ本当、感心しますね。やっぱあげん時に、( )。それけん、一時は園児が減るぐらいじゃった。それでも、やっぱビクとんせんですね、おかげを頂いて。
やっぱ信心には、何かそういうようなものがいるようですね。そうやって、また、昨日は研修の時にも、その学院生達のその、いろんなことをあっちから言うて来たから、あの、特に末永さん達に話したことでしたけども、末永さん達でん金光様の先生ならば、ちゃんとお供え付けもしきらにゃいかん、裁ち物もしきらにゃいかん。金光様の先生の、いわば教養全般。
私どもがごと稽古をしとらん者は知らんち言うてんしようんなか。けど、アンタどんの場合は、アンタ今から布教に出て、それこそ何から何までせにゃんとに、もう、絶対せんですもんね、この人ばっかりは。他んことは覚えんでよかち言うわけ。だから、あちらへ、なら、ポルトガル語の勉強ち、そげなことはいらん。もう、沢山使いさえすりゃいい。私もだから、そういう主義ですたい。
けれども、やっぱり、その、それこそ実意丁寧神信心のことになって来るとですのや、だから、公子さんにも御神米を折るぐらいはいっちょ覚えて行かんのち私が言いよります、もうせんです、全然。はい。だから、金光様の先生としての、ならあんた、よそにお祭りに行ってからのや、どういう役が回って来るじゃ分からん。それに体して知りませんち言わなんじゃんのや。私だん、もう行かんけんよかばってんか、(文男先生達は?)そんな訳にいかんとです。何でん、「はい」ちやってのかせれるだけに稽古しとかにゃいかんです。昨日その、学院からそげん言うて来たからね、私は昨日改めて、先生にそう申しましたが。
もう、ただその、神様を信ずるという力と同時に、やはり、んなら、世間のモンからして金光様の信心すりゃそげなことでよかのち言われるようなことじゃいかんですの。ええ。やっぱり、先生付き合い、(尋常?)付き合い、ちゃんと、なら、なるほど金光様の信心いうごたるの、あの、信心も教養の中に私はあると思うです。ね。もう、神様( )よかてん何てんちゅうな、どうも、そういう傾向が合楽は強いですもんね、やっぱ。うん。私がだいたいそげな風じゃったからでしょうけれども。
けど、この辺のところが、もう段々大人に成長して行かんなんとじゃから、合楽の信心もやっぱ成長して行かにゃいけません。もう、とにかく合楽理念を、ね、土台にして、いよいよ実意丁寧神信心とはというところに、本気で勤めて行かにゃいかんですね。